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経営者は机の上では生きられない

先日、銀行関連の方々と話す機会があった。彼らは、銀行を監視・指導するのが仕事だそうな。

大まかに言って、次の3者の会議

1.私を含む社長たち

2.銀行に対して、権限を持つ人たち(金融庁関係)

3.経営者をサポートする人たち

2の人たちは、しきりに

「銀行には、中小企業にしっかりと融資するように指導しています。もし、銀行が貸し渋りをしたら連絡をください。」

というような内容を言っているように感じた。

また、3の人たちは、1の人たちに

「現行の制度はおかしい。これでは、駄目だ。銀行もずるい。中小企業の社長にもっと真剣に相談に乗ってやらなくては。中小企業の社長もがんばっているのだから、銀行は経営的なアドバイスももっとしていき、一緒になって会社を良くしていかなくては。」

というような内容を話していた。ある経営者はこの話を聞き、

「うんうん」

とうなずいていた。

さて、私は

ちょっと待った

というのが本音である。

まず、銀行は民間機関である。指導をしているのは役所。つまり、つぶれない。でも、銀行は不良債権が増えればつぶれる。当然、悪いところには貸さない。もっとありていにいえば、返せない人には貸せないのである。それを、権限だけ持ち何のリスクも背負わない人たちが

「困っている(返せないかもしれない人)には貸せ」

「不良債権を作るな。多いと、廃業させるぞ」

では、子供のケンカ以下ではないか。互いの立場が違うのだから、リスクを背負っていない人はずるくないですか?まあ、だからそういう職業に就きたい、というのわかる。学業成績がいいと、国の役人になるのも、ある意味正しいという気はする。社会的に、そういう職業は必要であるし、だからみんな頑張るんだ。というのは、ある一面では納得するが。。

閑話休題

次に、3の意見。経営者に対して

「今の融資制度はおかしいですよね」

「銀行の本来の業務は、あなたのような人に貸すためにあるのだ」

「力を合わせて頑張っていこう」

というのはどうですか?これらはすべて机上の論理。

経営者は現実に生きているので、現実を教えてあげるのが本当の指導ではないか

「今の融資制度だと、○○銀行はあなたに貸せない」

「現在の銀行は、こういう人には貸せない」

「私のできるのはここまでで、これ以上は力になれない」

どっちが、経営者のためになるだろうか?

別に、サポートしている人たちを悪く言うつもりではないが、結果的に

経営者にとっての大きなおせっかい

経営者の甘えを強め、自立性を失わせている

になっている、影の部分にも目を向けなくてはならないのだと思う。

甘えの強い経営者もいて

「○○さんに言われた通りやったのに」

「銀行にだまされた」

などなど。そんなことをいう時間があれば、思う時間があれば違う手が打てるのに・・

経営者に

「結局、最後の責任はあなたがすべて一人でとるのですよ。責任とは、経済的な損失の穴埋めのことですよ。理由は関係ないし、言い訳も通りませんよ。」

ということを教えてあげないと、ますます不幸な経営者が出てくるような気がします。

机の上ではなく、現実に生きているのだということを忘れないようにしよう。

机の上の人たちの話を信じて、ひどい目にあっても、それは自分が悪いのである。

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息子のその後2

さて、その後の対応について報告させていただきます。

昨夜はこんな状況でした。

21:20 私から息子に『もう時間だから寝なさい』と注意。息子は相変わらず、いつもの毛布+テレビを居間でやっている。

女房は疲れて寝てしまった。私は、相変わらず菊池雄星の動画をyou tubeで見ていた。いい番組が見つかり、思わず見入ってしまった。気が付いたら、22:30に。(佐藤涼平君には泣ける:関係ない話ですいません)

息子を確認しに行くと、あいかわらずだらしなく寝ている。そこでいつもの儀式。

・毛布を外す

・テレビを消す

・ヒーターを消す

・電気を消す

・扉を開けて、新鮮な、冷涼な空気を送り込む

さらに時間が遅かったので

・枕に使用している座布団を外す

も付け加え、愛情いっぱいの所作とした。

2階に戻り、今度はイチローのレーザービームを見る。

30分ほどしたが、まだ起きてこない。そこで、天秤にかけた。

1.息子の将来のために体に教える

2.インフルエンザですごい時期に、風邪をひいた原因にされて責められる

ブルブルッ、考えるまでもなく「2」は避けなくてはいけない。息子も大事だが、自分も大事だ。

仕方がなく、居間に行き、小さな声で

『おい、起きろ』

と声をかけた。

「はい?」

と息子が気がついたのを確認するとすぐに、2階の電気を消して(わざわざ起しに行ったという誤解をさせるために)寝てしまった。

すると、ほどなく息子がもぞもぞと自分の部屋に行き、その途中で、布団の中の私に

「お父さん、起してくれてありがとうございます」

と神妙に、そして絶対に妻には言わないであろう言葉を言った。

少しは父親らしいことができたかな、と思う。

今回は演出効果抜群であった。

それに、息子は何と自分に似ているのかと痛感した。

自分も、こうやって何度も親に起こされていたのを思い出す。

普段は、悪いところは

「あなたに似たんだ」

と妻と言い合うのであるが、これだけは言えない。

食べ物をこぼすのとこれだけは、

間違いなく自分似である。

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息子  その後

前回のブログで家庭のことを書いたら、思わぬ反響があり、結構意見もいただきました。

さて、その後というか、昨日というか。

全く同じ状況で、息子が居間のヒーターの前で毛布をかぶって、明かりをつけたまま寝ておりました。

まずは、妻への言い訳を準備するために(一応は『声をかけた』と言えるため)

『おい、起きなさい』

と普通の声で言いました。当然息子は起きません。まあ、何回か言いましたが、まさに

馬の耳に念仏 豚に真珠 2階から目薬 猫に小判

状態です。

起きないことを確認すると、次の行動に出ました。

・ヒーターを消す

・毛布をはがす

・電気を消す

父親としての精一杯の愛情表現です。もちろん、定期的にチェックはするつもりでした。

そして、さらに愛情深くするために、居間の引き戸を全開にして、新鮮な、というか、鮮烈なというか冷たい風を送り込みました。

これで完了。

すると、次男坊が

「おにいちゃんはどこ?」

と探しに来て、寝ている長男を見つけ

「お父さん、お兄ちゃんがどうして真っ暗な中で寝ているの?」

と聞いてきました。

「さあ、ああいうのが好きなんじゃないの」

と答えておきました。次男は心優しく、一応はお兄ちゃんに声をかけたようなのですが、当然、無反応だったようです。

2階でパソコンニュースを見ていること30分、息子が怪訝そうな顔で起きてきて、1人でふろに入り、上がってきました。私は

「おう、何してた?お休み」

というと

「はい、お休みなさい」

と言って、ベッドに行きました。親として、とてもいいことを体験させたような気がします。

まさに、教育とは

教えるだけ

ではだめで

育てること

が重要というか、チェックポイントというか、力のつけどころだと思います。

私は、少しだけ

彼は育った

のだと思い込むようにしている、未熟な父親です。

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これが押し紙の実体か?

先日こんなものを見つけました。

Osi

リサイクルされる新聞紙に交じって、大量の新しい新聞。

これが、押し紙ってやつのことですかね。かなりの量が積まれてありました。ネットで、『押し紙 実態 』で調べてみると、いろんな例が出てきます。

ここにも、時代の変化にとりのこされた

「悲しい仕組み」

があります。もちろん、これだけではなくどこにもこういう「悲しい仕組み」が存在します。

仕組みが悪いのではなく、それを維持することを決定していることが悪いのだと思います。仕組みの悪さを言うのは簡単なことですから、私は非難する気はありません。

どうすれば、改善されるか。どうすれば、自動的に改善される仕組みに変化できるか。

自分に、会社に、家庭に

いろいろと置き換えて、検証してみます。

実は、家庭にも「悲しい仕組み」があったのですが、先日撤廃しました。

それは(思いっきり小さな話ですいません)

「寝ている息子を起こさない」

ということです。どういうことかというと、私は息子が夜に居間で寝てしまうと、妻から

「起こしてちょうだい」

と頼まれます。心の中ではブツブツと

「そんなんことをしても、息子のためにならない。言葉ではなく、寝たら(風邪をひくとかで)ひどい目に合わせたほうが、彼のためにもいいんだ」

と思っているのですが、妻からひと言

「具合を悪くしたら、だれが面倒をみるの!」

と強い口調で言われると、すごすごと居間に向かい

「バカ、早く起きろ。」

とたたき起こしてしまいます。妻には強い口調では言えないのですが、息子ならバンバンです。

しかし、先日、同じ状況になった際に思い切って妻に言いました。

「彼のためにも、経験させるべきだ。中学生にもなったのだから、そろそろひどい目を体験させて体に教えないと。親の役目は、

「生きていくことを教えること」

であり

「生きることを助けること」

ではないと思う。小学生ならともかく、中学生になったらそれを教えないほうが不幸になる」

妻も、半分以上はなるほどと思ったようです。

結果は、残念ながら息子が自分で起きてきたので、出ませんでした(笑)

しかし、次からも

「起こさない(ひどい目に合わせる)」

と(自分の心の中だけで)決定しました。

ここで教訓

妻に自分の意見を言うこと

も正しいのですが

聞けない相手には言わない

も正しいのです。なぜなら、私だって思っているのですから、妻だって思っているでしょう。

『(確かに立派な理論だが)あなたには言われたくない!』と。。。。。

立派な社会の問題から、つまらない家庭の話のオチですいません。

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当社の環境整備点検の模様(社内報より抜粋)

おはようございます。先週は、環境整備点検がありました。なんと一日に400kmも走りました。来月はこれに岩泉が加わりますから、すごいことになると思います。

今回の点検では、本当にいろいろなことがありました。まず、最初の相沢地区です。育男さん敏生さんは前日から寛之君のところに泊り、点検に同行しました。ところが最初の相沢地区で、育男さんがいい加減な環境整備を行いました。その結果

「本日の環境整備点検を完璧に行っているか」

「会社の車をきれいに使用しているか」

の2点で減点されてしまいました。なんと、点検に行って自分のせいで現場を減点させるという、とんでもないことをしました。石川洋さんは

「減点がなければ商品券をもらえていた。育男さんに損害賠償だ!」

と話しておりました。

次に、橋場です。

「香さんは役所に行った」

ということで、現場事務所に入ろうとしたら、鍵がかかって入れません。

「香は点検されるのが嫌で、わざと鍵をかけて出たいったな」

と思い、松本さんに

「中には入れないなら0点だ」

と怒鳴るように伝えました。慌てて松本さんが走ってきて

「これは何かの間違いだ。絶対にそんなことをするわけがない。」

と口走りながら、ドアを開ける(フリ?)をしていましたが、なんと鍵は室内にあるようで開きません。鍵は一個しかない(これもウソくさいですが)ということで、彼らの言うことが本当なら、あり得ないミステリー事件みたいなことが起きたのです。外部から松本さんが不正侵入して何とか点検はできました。最後の総括の時に、敏生くんが

「この現場の状況はどうですか」

とかしこまって、しかし、ズボンのチャックを開けていうものですから、そのチャックをビデオ撮影してから

「お前のチャックが開いているから総評はできないぞ」

と言いました。反射的に敏生くんは両手でチャックを閉め

「いえ、開いていません。ちゃんと閉めていました!」

と言い張りました。瞬間的にウソをつくという、当社の先輩の教えをしっかり守った瞬間です。もちろん、彼に証拠ビデオを見せたことは言うまでもありません。敏生くんのその時の衝撃の模様は、皆さんに回覧されるビデオで確認ください。

次は門崎の現場です。さすがにここでは何もないかと思いきや、点検終了時にやってくれました。敏生くんが車を遠くから回しているときに、私がそれを見ながら彼に電話をかけました。ストップランプがついて、まだ動いているときに彼が出たと思ったので

「お前は運転中に通話しただろう」

と車に乗り込んで追求しました。

「いえ、絶対に止まってからしか出ません」

「ウソつくな」

「いくら社長でも、私は絶対に止まっていました」

と、会話をしている最中に、あろうことか彼が走りだしたのです。もちろん、私はまだシートベルトをしていません。チーン、罰金2000円。何ということでしょうか!

そして、最後に極めつけは、やはりこの人育男さん。事務所の点検で裏玄関に行き

「靴はそろえているか」

という確認をしたら、脱ぎ捨てている長靴を発見。大きな声で

「長靴がそろっていないのを発見」

と叫びました。駆け寄ってくる敏生くんが

「そ、そ、それは、、、、育男さんのですよ」

と声にならない声で叫びます。すかさず育男さんが駆け寄ってきて証拠隠滅を図りましたが、私に取り押さえられ万事休す、御用となりました。もちろん、この模様もビデオに撮っています。

今月は、本当に面白い点検になりました。みなさん、来月もお楽しみに。

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ストレスが悪いのか

最近、回りの会話を聞いていると

「体調が悪くて病院に行ったら、『ストレスが原因じゃないか』と言われてきた」

というような話を耳にする。話している本人は

「だから、ストレスを取り除く、もしくはその原因を解決しなくてはいけない」

という結論に持っていくようだ。

しかし、だ。しかし、である。

「ストレスをなくす」

「生きていくこと」

の両立のほうが、よっぽど無理だし、そんなことをしようと思うからストレスがさらに大きくなるのではないだろうか。

ストレスは、なくすものではなく、うまく付き合う、もしくは自分で消化していくものではないだろうか。最近の心の病の多くはここに原因があるような気がする。

つまり、ストレスがかかる→悪いことだと思う→原因を自分、もしくは他人に持っていく→一向に解決しない→ふさぎこんでしまう

もちろん、こんな単純な図式ではないだろうが、いずれせよ近いものがあると思う。特にも、最近の子供たちを見ていると、親も教師もこぞって

「子供にストレスをかけないように。」

といわれている様な気がするのは私だけだろうか。子供にこそ、ストレスをかけて、その解決方法や付き合い方を体で教えなくてはいけないと思う。

社会に出れば、いろいろな理不尽なこと、理屈では納得いかないことが待ち受けている。そして、当然の帰結としてストレスを感じる場面が増えてくる。

その時に、子供の時の経験が生きてくるのではないだろうか。

かなり乱暴な意見だが、それと同じ理屈で、当社では新しい社員にストレスをかける。新しいうちは、受け入れることができる。古参社員ほど受け入れられない。

「昔は良かった。」

という決まり文句を残して。そんな古参社員も、「昔」にタイムマシーンに乗って自分を見ていれば「その時は文句を言っていた、満足していない」自分に気がつくであろう。

昔は良かったというのは、いつの時代も言い続けられている決まり文句であるのだ。

話はそれたが、なるべくストレスから逃げないで消化、もしくは昇華できる訓練がもっと必要だと感じるこの頃である。

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