年をとると(といってもまだ44歳だが)体力、知力、記憶力、○○力その他いろいろなものが、落ちてくるというか下がってくるというか、枯れてくる傾向にある。
普通は嘆くのだが、いいこともある。
何といっても、私の一番は
集中できる
ことにある。40も過ぎて人生の折り返しを過ぎたと思ったら、やたら無駄な時間を過ごすのが嫌になってきた。具体的に言うと
変えられないならそのまま受け入れて、どう利用するか考える
という風になってきた。それまでは
正しい世の中にしよう
とか
政治家のいいなりになってはいけない
など、いわゆる『青臭いこと』ばかり言っていたような気がする。(そして、行動はしていない)
しかし、最近は
そんなことはやめて(捨てて)自分ができることに集中しよう、と思うようになってきた。これも、知力体力が衰えたおかげである。
さて、昨日O建設のO専務と話をした。彼は、この業界にあって珍しく国家公務員上級試験を受かりながら、わざわざ地方の建設会社を継ぐために帰ってきた奇特な人物である。
その出自、というか育ちからして、当然議論好き、理想論好きである。しかし、いわゆる秀才タイプとは違い、周りから愛されるという長所も併せ持つ。
さて、彼が言うには
「政府の緊急雇用制度で、金をばらまくなんておかしいですよ。おれたちには、公共投資の無駄遣いとかいいながら、こんなばらまきの政索なんておかしいですよ。」
私が
「いいだろう、それはそっちが決めることだから、我々はそれをうまく使えばいいじゃん。どうせ、国の金で誰かが使うんならおれたちが使ったほうがいいよ」
「そんなことをしてたら、日本が駄目になってしまいますよ。」
当然、彼の論理は正しいと思われる。私もそう思う。でも、私は年をとって捨てることを実践しているおかげで、この議論も捨てることができる。
「そんなことはどうだっていいだろう。変えられないものに集中しているより、自分ができることに集中したら」
すると
「そんなことを言って、世の中がどうなってもいいというのですか?」
ときた。そこで、搦め手で攻めてみた。
「そんなことを言っても、実際の現実はどうよ。北朝鮮の核問題と君の奥さんの機嫌の問題。どっちが大切。どっちが君にとって切実?」
彼は、間髪おかずに
「そりゃー、奥さんでしょう。問題なく。」
「だろ。変えることができることが自分にとって大きな問題なんだよ。自分の力が及ぶところに、集中しないと不平不満ばかり溜まって、体に悪いよ」
「そーですかねー」
憮然とした面持ちだったが、なんとなく理解してくれたようだ。まあ、もともと頭がいいので切り替えもすぐにできるのだろう。
まだ彼は若いので、理想論を実践する情熱をもっている。でも、政治に口出しするより、政治で決まったことをどう利用するか考えたほうが、経営者らしいと思う。
ここを履き違えると、政治家になる経営者があらわれてくる。結果はご存知の通り。
話がそれたが、昨日のO専務との会話から『捨てる』ことの重要性を教えてもらった。
感謝